陸戦隊の輸送を行い続けた第30駆逐隊の1隻。
ガダルカナル島への艦砲射撃第一号。
駆逐艦「弥生」
安武第30駆逐隊司令と共に戦った駆逐艦の結末を語ろう。
沈むの…かな… 睦月、今度は弥生より…後に来て…ね… by弥生
駆逐艦「弥生」
弥生(彌生)は、旧日本海軍の睦月型駆逐艦の3番艦。
旧日本海軍での登録は、正式には「彌生」と明記されているが、ここでは「艦これ」の表記にならって「弥生」と表記する。
睦月型の多くは月の旧名表記が使用されており、3番艦であるために旧暦3月の「弥生」と命名される。
建造は浦賀船渠で、1926年8月28日に竣工した。
日中戦争では、中国大陸沿岸での作戦に従事。
太平洋戦争でも各地の戦線に参加し、1942年8月22日には「睦月」「望月」と共にガダルカナル島を夜半に約10分間砲撃し、同島への艦砲射撃第一号となった。
その最後―――
第二次ソロモン海戦後、弥生の所属する第30駆逐隊は、『ラビ攻略作戦(ニューギニアの戦い)』に参加。
作戦では、ニューギニア島・パプアニューギニア方面への部隊上陸を行うなどの活動を行った。
9月3日、タウポタへ連絡員20名を輸送。
9月4日、夜にラビ方面で連絡不能となった部隊を捜索する為、ミルン湾へ突入。
この際、海軍陸戦隊に糧食を補給し、負傷者224名を収容している。
9月5日深夜1時には、ラバウルへ向け移動を開始。
一部の乗組員は、海軍陸戦隊との連絡をとるためにタウポタへ上陸したが、戦況の変化により取り残されることとなってしまったという。
これ以降、乗組員が少ない状態での運行となってしまう。
9月10日16時30分、弥生は磯風と共に佐世保鎮守府第五特別陸戦隊(ラビ島攻略部隊)を撤収させるためにラバウルを出港。
そして運命の9月11日―――
正午になり、ラビ島東部のノルマンビー島東方を航行中。
B-17、B-25約10機の部隊に補足される。
激しい空襲により弥生は善戦するも後部へ被弾してしまう。
これにより舵が故障し、回避運動がまともに行えなくなり―――
そのまま航行不能に陥ってしまう。
弥生に乗艦していた安武第30駆逐隊司令もこの時、戦死。
ノルマンビー島東方15浬南緯10度3分 東経151度27分―――弥生は海中へと没していった。
大海に還った魂に敬礼―――