第30駆逐隊として活躍した戦隊指揮艦。
陰暦で1月の名を持つ。
それが―――
駆逐艦「睦月」
第四艦隊事件での伝説的逸話を残す駆逐艦の結末を語ろう。
少しは…役に…立てたのか…にゃ… by睦月
駆逐艦「睦月」
睦月は、旧日本海軍の睦月型駆逐艦の1番艦。
艦名は、1925年7月23日進水時には「第十九号駆逐艦」であった。
佐世保鎮守府に所属後、1928年8月1日附で「睦月」へ改名された。
第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、卯月)として活躍したが、この駆逐隊は転出、転入が繰り返されて所属艦が時期によって様々。
睦月の代わりに夕月が所属していた事もある。
1935年9月下旬の事、睦月は昭和十年度大演習に参加し、「第四艦隊事件(9月26日~27日)」に遭遇した。
この時、睦月は艦橋を破損し、坂本航海長が死亡して制御不能の状態にまで陥っている。
上妻一等水兵が約2時間以上一人で応急操舵を実施。台風の中の艦を制御しきって、睦月を沈没から救ったという逸話が残っている。
この事件での修理時に、設計が改められ艦橋の形状が変更された。
その最後―――
1942年7月14日、ミッドウェー海戦の敗北から旧日本海軍は戦力の再編成を実施。
新設された「第八艦隊」に、第30駆逐隊も7番隊として編成される。
8月5日には、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)が外南洋部隊に編入され、睦月の僚艦となった。
8月8日~9日、「第一次ソロモン海戦」では、夕張、夕凪などが合流して戦力が増強されたこともあり日本海軍は勝利を収めている。
8月14日、睦月は横須賀を出港し、ソロモン方面へ進出。
8月24日、「第二次ソロモン海戦」で睦月は、第30駆逐隊司令艦としてガダルカナル島米軍ヘンダーソン飛行場への砲撃任務を実行。
同日22時より約10分間の砲撃を成功。だが夜間の為、効果の程は確認が困難だった。
その後、部隊合流の為、ガダルカナル島を離れて北上した。
そして運命の8月25日―――
25日5時40分、睦月を含む駆逐隊は増援部隊と合流。
6時5分、旗艦である神通と涼風の間を睦月、江風、磯風、陽炎、弥生の単縦陣が追い抜こうと接近していた。
直後のこと、艦隊はヘンダーソン飛行場から発進したドーントレス急降下爆撃機8機の奇襲を受ける。
神通に爆弾1発が命中、炎上を始める。
6時7分、今度は輸送船「金龍丸」に爆弾が命中し大火災が発生。
この際、神通は船体の損傷が大きく戦闘不能と判断されて陽炎、涼風を伴い船団を離脱していた。
睦月は炎上する金龍丸の救護にあたることとなる。
金龍丸は乗員を他の艦に収容された後、雷撃処分となった。
8時27分、アメリカ陸軍のB-17爆撃機3機が飛来。
攻撃が開始された。
その爆弾のうち1発が、睦月の後部機関室に直撃。
機関室から出火し、船体は炎上してしまう。
懸命に消火作業を続けるも、火の手は激しく―――
約1時間の後、9時40分に睦月は深い海の底へ沈んでいった。
負傷者11名。准士官以上3名、下士官37名が犠牲となった。
大海に還った魂に敬礼―――