【艦これ:魂の還る海】「三日月」激戦区での輸送任務に従事した駆逐艦!睦月型唯一のミッドウェー海戦参加艦の結末を語ろう!司令官…もっと一緒に戦いたかった…。

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執筆者:編集部

画像出典:http://itgadget.info/2015/12/07/post-574/

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睦月型唯一のミッドウェー海戦参加艦

激戦地で輸送任務に従事した駆逐艦の1隻。

それが―――

駆逐艦「三日月」

ラバウルソロモン激戦区域で戦い続け、不運に不運が重なった睦月型駆逐艦の結末を語ろう。

司令官…もっと一緒に戦いたかった…。 by三日月

駆逐艦「三日月」

画像出典:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%BB%B0%C6%FC%B7%EE

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三日月は、旧日本海軍の一等駆逐艦睦月型(卯月型)10番艦

艦名の「三日月」は、初代神風型駆逐艦「三日月」に続き2代目となる。

1941年末以降は、軽空母の「鳳翔」「瑞鳳」の護衛任務で内海で待機していた。

1942年6月上旬のミッドウェー海戦に第二艦隊司令長官近藤信竹中将(重巡洋艦「愛宕」)指揮下に入り、攻略部隊本隊として参加。

ちなみに、睦月型唯一のミッドウェー海戦参加艦である。

7月以降は内地台湾間の船団護衛に従事。

この頃までは、内地での運用が多かったようだ。

画像出典:http://www.ms-plus.com/3450

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1942年8月~9月にかけて、睦月型姉妹艦「睦月」「弥生」の2隻を喪失したあたりから、激戦地における運用が多くなる。

ラバウル方面に進出し、ソロモン諸島における強行輸送任務に従事。

レンドバ島沖合への進出。コロンバンガラ島へ進出など、数々の戦地で輸送任務をこなしていった。

その最後―――

1943年7月12日、旗艦「神通」率いる増援部隊は、コロンバンガラ島への輸送任務に従事していた。

三日月はその警戒隊に参戦してラバウルを出撃。輸送隊もまたブイン基地を出撃。

合同でコロンバンガラ島へ向かう。

画像出典:http://romanship.web.fc2.com/kuchiku/mikazuki.html

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同23時、米軍艦隊と遭遇、コロンバンガラ島沖海戦が勃発。

この戦いで、日本側は旗艦「神通」が沈没し第二水雷戦隊司令部が全滅してしまう。

7月25日、トラック泊地から駆逐艦「時雨」「有明」がラバウルに停泊中だった「三日月」の元へ到着。

この後、東部「ニューギニア」方面作戦輸送に参加する予定だった。

「時雨」はレカタ~ブイン輸送任務に従事する為に別行動となる。

そして運命の7月27日―――

午前10時にラバウルを出撃。

ニューブリテン島・ツルブへの輸送任務についた。

途中、ココボで陸軍兵及び軍需物資を移載後、再び目的地へ向かう。

23時、グロスター岬岬49度5浬リーフ(サンゴ礁)速力26ノットといいう速度で座礁してしまう。

画像出典:http://www55.atpages.jp/kancollep/kcviewer.php?pn=7

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夜というコトもあり、両艦ともサンゴ礁の存在に全く気付くコトができなかった。

また、不幸にも甚大な被害を追ってしまった。

特に三日月は浸水し、左右のスクリューも屈曲状態。

航行不能寸前という状態だった。

6ノットという低速ながら、有明は離礁するも、三日月は脱出するコトができないでいた。

有明三日月の物資の一部を引き受けて任務に戻るコトに。

三日月は燃料や物資を減らし、強引に離礁を敢行。戦地で焦っていたのだろうか、無理をさせ過ぎた結果・・・

―――右スクリュー脱落。

この時点で、自力航行不能となった。

さらに不運は続く。

B-25の空襲―――この攻撃で戻ってきていた有明が轟沈、三日月も1発被弾してしまう。

これにより、完全に航行不能と判断され船体の放棄が決定された。

先に旅立った姉妹艦たちの元へ旅立っていった。

大海に還った魂に敬礼―――

執筆者: 編集部