数々の海で戦い、生き残り続けた幸運艦。
戦後、異国の総旗艦を務めた唯一の駆逐艦。
それが―――
駆逐艦「雪風」
大和の水上特攻にも同行して生き残り、乗艦した主たちの戦死者がほとんどいないという伝説の武勲艦の結末を語ろう。
不沈艦なんて…この世に無いのね… by雪風
駆逐艦「雪風」
雪風は、旧日本海軍の一等駆逐艦陽炎型の8番艦。
数々の激戦をほとんど無傷で切り抜けた幸運艦。
ラバウルやソロモン泊地では、同じく不沈艦として有名だった駆逐艦「時雨」と共に「呉の雪風、佐世保の時雨」と称えられる程だった。
歴代の艦長の中で、菅間艦長は雪風を退艦する際、部下たちに以下の言葉を贈ったと言われる。
「雪風は沈まない。雪風は武運の神が宿る艦だ」
その言葉の通り、雪風はあの大和の水上特攻作戦にも参加し、生き残って終戦を迎えている。
その最後―――
雪風は、戦後に中華民国へと引き渡され、駆逐艦でありながら海軍No.1の「中華民国海軍旗艦」という地位を与えられている。
なんと、一国の総旗艦を務めた唯一の駆逐艦となったのだ。
しかも整備の行き届いた雪風に、将校たちは感動したと言われている。
艦名を「丹陽」と改めた後も、その幸運艦ぶりは健在で、数々の逸話も残っている。
速力の落ちていた丹陽だったが、交戦中に突如ボイラーの調子が復活し、往年の高速航行が可能になったとか―――
命中寸前だった敵砲弾が突如爆発、直撃を免れたとか―――
そんな丹陽も1965年12月16日に退役、1966年11月16日付で除籍された。
ついに進水から長年に渡り乗艦した主たちの命を守り続けた丹陽、―――雪風はその役目を終えた。
丹陽の退役の一報を受けた日本では、雪風返還運動が起こる。
あの武勲艦を今一度日本へ迎えたい。
その想いから、元乗員たちを中心として交渉は順調に進んで、翌年に返還が約束される直前の1969年の事―――
雪風は、故郷の海へ還れる機会が訪れるはずだった。
幸運艦、武勲艦として数々の伝説を残してきた最後の幸運は・・・自らの為に使われる事はなかった。
まるで、自らの幸運は、乗艦した主たちの為に全て使い切ってしまったかのように・・・。
運命の1969年―――夏―――
直撃した台風による暴風雨が、老朽化していた丹陽の船体を襲う。
最期に故郷である日本の地、その海を見る事なく―――雪風は異国の海へ沈んでいった。
1970年に解体された雪風は、さらに翌年に体の一部が日本へ帰って来ることに。
戻ってこれたのは―――
舵輪と錨のみ
行われた返還式典は、水を打ったように静まり返る。
「あの『雪風』がこれだけになってしまったのか―――」
参列したかつての乗員たちは、なりふり構わずに大泣きしたと言われている。
大海に還った魂に敬礼―――