数々の戦火で生き残り続けた艦艇。
「不沈艦」「不死鳥」とも呼ばれる幸運の持ち主。
それが―――
駆逐艦「響」
近年まで、解体処分されていたとされていたが、近年その本当の最期が判明した第六駆逐隊最期の一隻の結末を語ろう。
私の本当の名は響…ダスヴィダーニャ…さよなら…。 by響
駆逐艦「響」
響は、旧日本海軍、吹雪型(特型)駆逐艦の22番艦、そして暁型(Ⅲ型)駆逐艦の2番艦。
この名「響」を冠する日本海軍艦艇は、神風型駆逐艦「響」に続く2隻目になる。
数々の戦火で多大な被害を受けたが沈没することなく、終戦まで生き残ったコトにより「不死鳥」「不沈艦」と形容される艦。
その最後―――
大戦中、姉妹艦である「暁」「雷」「電」は、大海に散っていった。
1945年、姉妹艦の中、1隻残された「響」はあの「大和」の沖縄水上特攻作戦に加わるコトとなった。
だが、大和以下の艦艇と共に移動中、触雷して航行不能となってしまう。
これにより、「響」は戦時中最後の作戦が終了したコトになる。
それまでも数々の死地を生き残り続けてきた幸運が、ここでも乗員たちを生き残らせた。
―――終戦。
戦後、「響」は賠償艦として当時の「ソビエト連邦」に引き渡された。
1947年7月7日、ソ連海軍太平洋艦隊第5艦隊に編入。
同年7月22日、艦名を「ヴェールヌイ(真実の、信頼できる)」と改称される。
翌1948年7月5日には艤装を撤去されて練習艦「デカブリスト」として運用されるコトに―――
1953年2月20日まで運用されていたが、老朽化により除籍扱いとなり、その後解体されたとされていた。
長らく、その最後は一般に知られるコトが無かった―――
だが、近年、あるダイバーがウラジオストク沖、カラムジナ島岸付近の海底で「響」の船体を発見。
それにより、「響」が最終的に解体ではなく、1970年代に海軍航空隊の標的艦として処分されていたコトが判明した。
その―――不死鳥の最期は・・・
姉妹艦たちと同じく、海へ還っていったという最期だったのだ。
戦時中、共に散るコトができなかった。
しかし、その最後は、遥か北の海で―――同じ海へと旅立っていた。
現在の「響」
発見したダイバーによるサイトで、現在、海底で眠る「響」の姿が公開されている。
以下の画像出典:http://safety-stop.ru/hibiki/
大海に還った魂に敬礼―――