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【艦これ:魂の還る海】「五月雨」白露型駆逐艦の6番艦!不発弾で助かったり、迷子になったりと白露型のドジっ娘の結末を語ろう!ごめんなさい…… 私…ここまでみたいです……
画像出典:http://matome.naver.jp/odai/2142224099687808501 白露型駆逐艦の6番艦。 『五月雨にスコール続く輸送かな』『スコールの後に五月雨忘れけり』の句が残る。 それが――― 駆逐艦「五月雨」 不発弾で助かったり、迷子になったりと白露型のドジっ娘の結末…
執筆 編集部
画像出典:http://matome.naver.jp/odai/2142224099687808501
白露型駆逐艦の6番艦。
『五月雨にスコール続く輸送かな』『スコールの後に五月雨忘れけり』の句が残る。
それが―――
駆逐艦「五月雨」
不発弾で助かったり、
迷子になったりと
白露型のドジっ娘の結末を語ろう。
ごめんなさい…… 私…ここまでみたいです…… by五月雨
駆逐艦「五月雨」
画像出典:http://wikiwiki.jp/kancolle/?%B8%DE%B7%EE%B1%AB
五月雨は、旧日本海軍の
白露型駆逐艦の6番艦。
太平洋戦争開戦時、白露型の姉妹艦である
村雨、夕立、春雨と共に
第2駆逐隊を編成していた。
那珂を旗艦とする
四水戦に所属し、様々な作戦に参戦した。
1941年12月より
比島ビガン攻略作戦の他、
リンガエン湾上陸作戦、タラカン上陸作戦、バリクパパン沖海戦、スラバヤ沖海戦と参加。
その最後―――
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/五月雨_(駆逐艦)
1944年3月~5月、五月雨は内地からサイパン、トラックへの船団護衛に従事。
その中、
パラオ諸島ソンソル島への輸送作戦中のこと―――
4月27日午前10時、同行中の第三水雷戦隊旗艦
「夕張」が
米潜水艦ブルーギルの雷撃受け航行不能となる。
五月雨は夕月と共に
夕張の曳航を試みるが上手くいかず、
翌28日10時15分、
夕張は沈没。
夕月が三水戦旗艦を引き継ぐと、五月雨は夕月と分かれてダバオへ向かうことに。
5月下旬、ビアク島への輸送作戦渾作戦に加わるが、
戦艦扶桑、重巡青葉、羽黒、妙高等が参加した第一次渾作戦は
アメリカ軍機動部隊出現の誤報により作戦が中止となった。
画像出典:http://www.fujimimokei.com/item/items/4968728401133/
6月8日、駆逐艦6隻で第二次渾作戦が発動された。五月雨は警戒部隊として参戦する。
だが司令艦であった
春雨が
B-25型爆撃機の空襲を受けて沈没。
五月雨も
魚雷発射管附近に被弾してしまう。
画像出典:http://p.twipple.jp/t1RO0
致命的な一撃だった―――はずだが、
これは運よく
不発弾だった。その為、
轟沈を免れた。
その状態のまま、輸送任務は継続。
同日深夜、輸送部隊は
米巡洋艦部隊に迎撃され、一方的に
レーダー射撃を受けるも損傷を受けることなく避退に成功。
6月11日、五月雨は単艦で行動し、アンボンで春雨の生存者を下ろした。
6月19日~20日、五月雨は
マリアナ沖海戦に参加した後、
榛名、時雨と共に内地に戻った。
7月8日、呉を出港すると
戦艦大和、武蔵、長門、金剛、重巡熊野等を護衛する戦隊に加わり
リンガ泊地へ向かう。
7月14日午前3時頃、武蔵の直衛だった五月雨は、南西風15mという強風と波濤の中、
艦隊から落伍して
行方不明となってしまう。
この辺りのエピソードがドジッ子扱いされる元となっているのだろうか。
重巡利根の捜索で発見されて無事戦隊に合流できた。
これを受け、
大和に乗艦していた第一戦隊司令官
宇垣纏中将が以下の句を残している。
『五月雨にスコール続く輸送かな』『スコールの後に五月雨忘れけり』
7月16日、第一戦隊はリンガ泊地に到着。
8月7日以降、マニラ~パラオ輸送任務に従事する。
8月18日午前1時15分、鬼怒、時雨と共に航海中だった五月雨は、パラオ近海のガルワングル環礁で座礁してしまう。
火災も発生して深刻な損傷を受けてしまう。
3時40分、鬼怒、時雨は一旦五月雨を残してパラオへ。
18時50分、鬼怒、時雨はに再び五月雨の座礁現場に戻り潜水用具を移積すると、21時をもって現場を離れる。
その後も五月雨の
離礁作業は難航している中、
B-24爆撃機の空襲がはじまってしまう。
数日間かけて離礁できない事に上層部は
五月雨の放棄を考え始める。
その頃、
駆逐艦清霜と共に輸送作戦に従事していた
駆逐艦竹に五月雨の救援が下令されていた。
そして運命の8月26日―――
18時30分、米潜水艦バットフィッシュの雷撃が五月雨を襲う。
画像出典:http://kankoresamidare.blog.fc2.com/blog-category-1.html
回避できるわけもなく五月雨の
右舷中部に命中―――
大破した船体はそのまま
断裂してしまう。
これを受けた司令部は、
五月雨の放棄を決断。
艦長以下の乗組員は
竹に救助された後にフィリピンへ向かい、セブ島で下艦したという。
必死の作業をしていた乗組員たちは無念だっただろう。
戦うこともできなかった五月雨自身が最も無念だったに違いない。
大海に還った魂に敬礼―――