本日8月15日は、終戦の日。
だが、この日は世界的な終戦の日ではないコトを知っているだろうか?
今日を終戦の日としているのは、実は日本と韓国、北朝鮮だけ・・・。
では、他の国はどうなんだろう?
また、戦後まで残っていた日本の誇りとも言われたあの艦は、どこで迎えたのだろう?
今回は、そんな終戦の日を特集してみよう。
終戦の日
終戦の日とは、一般的には直近の世界大戦である、第二次世界大戦が終結(終戦)となった日。
だが、どの段階を終戦とするかは国によって受け取り方が違う。
それぞれの終戦の日がどういった日なのかまとめてみた。
8月15日
「日本」は、玉音放送が流されたこの日を「終戦の日」「敗戦の日」「終戦記念日」としている。
「大韓民国」は、この日を「光復節」として、日本による朝鮮半島支配からの「解放」を祝う日としている。
「北朝鮮」は、この日を「祖国解放記念日」として、韓国同様の意味で祝う日としている。
9月2日
「アメリカ合衆国」
「イギリス」
「フランス」
「カナダ」
「ロシア」
以上の国家は、大日本帝国が降伏文書に調印したこの日を「対日勝戦記念日」としている。
ただ、ロシアはつい最近の2010年より、「第二次世界大戦終結記念日」に指定した。
9月3日
「ソビエト連邦」時代のロシアでは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日戦勝祝賀会があった為、その日を「対日戦勝記念日」としていた。
「中華民国(台湾)」
「中華人民共和国」
以上の国家では、9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。
このように、国家毎に事情が違い、終戦の日とする日が違っているようだ。
終戦の日の戦艦「長門」
1945年7月18日、長門は横須賀基地で修理を行っていた。
すでに旧日本軍には、大型戦艦である長門を運用するだけの燃料を回す余裕は無くなっていた。
この為、かつては日本の誇り、日本の象徴とまで言われていた戦艦も予備戦力として扱われることとなっていた。
長門を運用できないことに、海軍だけでなく軍全体が憤りを感じていたが、どうするコトもできない。
せめて本土を護る為に戦えないだろうか?
そう考える者も多かった中、横須賀は空母エセックス、シャングリラ、ランドルフ、ベロー・ウッドから発進した艦載機からの大空襲を受ける。
戦う事もままならにまま、本土を護るべき長門は爆弾の雨が横須賀に降り注ぐのを見る。
まともに戦えない長門の船体にも爆弾が命中する。
3発の爆弾は、長門の艦橋を破壊した。
この時、艦長であった大塚少将以下、艦橋要員のほぼ全員が戦死。
熟練の要員の多くを失った為、今後たとえ燃料や資材が潤沢な状態になったとしても運用は難しい状態に―――。
だが、大きな損害は出したものの、長門は艦としての機能は失っていなかった。
修復さえすれば―――
そう願う者も多かったが、修復できる目途も立たない状態が続いた。
後任の艦長は杉野修一大佐に発令された。
だが、新たな艦長が、発艦の号令をかけることなく8月になり、その日を迎える。
8月15日、玉音放送が日本中に流され、終戦となった。
この日、海に浮かんでいられた旧日本海軍の戦艦は、長門一隻だった。
護るという戦いに参戦できなかった長門は、この後、日本最後の戦艦として、その誇りを賭けて立ち向かう正に最後の戦いに挑む事となる。
―――原子爆弾という日本を二度焼いた脅威との、最後の戦いに―――
様々な国と人々の想いが重なる終戦の日。
みなさんも今一度、この日の意味を考えてみるのもいいんじゃないだろうか?