世界で一番短い艦名の艦艇。
激戦区で補給活動を敢行し続けた高速輸送艦。
それが―――
軽巡洋艦「大井」
「北上」程の知名度は無いものの、数々の輸送作戦を支えた日本で唯一戦没した重雷装艦の結末を語ろう。
敵艦隊、かなり削ってやれた…?そう…ならいいわ…沈んであげる。 by大井
軽巡洋艦「大井」
「大井」は、旧日本海軍の軽巡洋艦。
球磨型4番艦で、ローマ字表記では「Oi」と表記される為、世界一短い艦名として有名。
タラカン・パラオ・ソロンなどで部隊の輸送を行った。
渾作戦には赤痢患者が発生し、作戦に参加できないといったコトもあった。
1944年の輸送任務はほとんど激戦区だった為、乗員たちは疲弊していったのだろう。
その最後―――
数々の輸送作戦に参加し、その時もシンガポール経由での輸送作戦を完了し1944年7月16日にマニラへ到着。
7月18日の早朝には「敷波」と共に第十六戦隊に合流する為にマニラを出港した。
しかし、「敷波」の機関故障が発生、重油に海水が混入したらしい。
無理せず、マニラ湾内に停泊して復旧作業を行い、午後には湾を出てシンガポールへ向かう航路についた。
この時、ルソン西方海上に台風があった影響で波が高く2隻は思うように進むコトができなかった。
復旧間もない敷波は速力を維持することができず速度を落として航行するコトに。
そして、運命の7月19日―――
天候は益々悪化。
近くを航行中の「敷波」の姿すら風雨の為に見失いかねない。
それまで20ノットだった速力を18ノットまで減速を余儀なくされる。
不運は重なるもの・・・
「雷跡艦尾近い」
掌航海長よりの報告があった。
魚雷が向かってくる。
発射したのは米潜水艦「フラッシャー」。日本の輸送艦艇を複数沈めた艦艇だ。
急速回頭を開始するも、波に舵を取られた事、低速での航行であった事もあり、回頭前に左舷機関室付近に魚雷1本が命中。
「敷波」の爆雷での攻撃の間に、後部機械室閉鎖、前部区画への注水を実施するも、後部機械室から火災が発生し前部からも蒸気漏れ。
これにより航行困難な状態に陥ってしまう。
―――この一撃が、「大井」への致命傷となってしまった。
完全に停止状態となった「大井」は、応急処置に務めるコトになった。
フラッシャーを牽制しつつ、完全停止してしまった「大井」を「敷波」が曳航しようとした。
17時25分、「大井」の艦体は被雷場所から切断。
嵐の海へ沈んでいった。
こうして「大井」は、僚艦である「北上」から離れた地で最後を迎えるコトに―――
この「大井」の損失は、マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦という激戦の合間の出来事であり、また輸送作戦が完了後の出来事だった為かあまり知られていない。
僚艦である「北上」は、この後にあの悪名高い特攻兵器「回天」の搭載艦に改装されたコトでその名が残るコトに。
もし、ここで沈んでいなかったとしたら、同様に回天搭載艦に改装されていたかも知れない。
大海に還った魂に敬礼―――