ポケモン噂の事件簿!
このシリーズでは、これまで世に出てきたポケモンのゲームやアニメ、その他ポケモンにまつわるネタを紹介していきます。
都市伝説や噂話、気になるネタ、あまり知られていない設定などなど……。
これを読めば、今までよりさらにポケモンに詳しくなれるかも!?
発売から20年
ポケットモンスター、というゲームが世に出たのは今から20年前、1996年2月のことだった。
当時は赤・緑が発売され、その後青・ピカチュウ……と続いていく。
出典・・・http://kakaku.com/chosatai/article.aspx?ct_id=3055
このポケモンが発売されるまでには、あまり知られていない物語があったのだ。
誕生秘話
ポケットモンスターの生みの親であり、
アニメ版ポケモンの主人公、サトシの名前の元ネタにもなっている田尻智氏。
出典・・・http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/xevious/3
(サトシの名前の元ネタ、小ネタについては以下を参照)
アニメ版ポケモンのサトシに隠された知られざる設定!サトシは外国ではよく分からないことになっていた!?【ポケモン噂の事件簿67】
今でこそ、ポケモンといえば誰もが知る作品であり、
ゲームだけでなくアニメや映画、本、グッズなど、数々の媒体でヒットを飛ばしまくっている。
日本で生活していてポケモンを知らない人を探す方が難しいんじゃないかというくらいだ。
がしかし。
そこに至るまでには、田尻氏の凄まじい奮闘があったのだ。
苦節6年
田尻氏は当初、「ゲームボーイの通信機能を利用して『交換』がメインのゲームがつくれないか」と考えていた。
そんなアイディアから生まれた企画書こそが、ポケモンの元となった「カプセルモンスター」であった。
その時田尻氏はゲームフリークという会社を設立していたのだが、
知人の所属していた会社にその企画を持ち込んだところ、その会社に出入りしていた任天堂の人の目にとまったそうな。
出典・・・http://www.inside-games.jp/article/2010/12/06/46131.html
出典・・・https://www.nintendo.co.jp/corporate/
以降、田尻氏は任天堂のバックアップを得て開発に着手するが、なかなかうまくはいかなかった。
ゲームフリークが当時はRPGの開発に長けていなかったことなどが主な理由だという。
1年半ほどの時間を費やした結果、開発は一旦ストップしてしまった。
開発が再開されるまでは、約3年もかかったらしいから驚きだ。
その後、スタッフらがアイディアを集結させ「モンスターを集める」「集めたモンスターを交換する」
といったゲームの方向性が固まっていった。
ただ、ここでも問題はあったようで、当時はまだ容量的にそこまで大ボリュームの作品はつくれず、
スタッフたちがデザインしていた200体以上のモンスターが全部入りきらないという事態が起こった。
それにより削った結果が、151匹というわけだ。
なお、ポケモンは入手したモンスターに名前をつけられるのも特徴のひとつだが、
これはスタッフたちのこだわりがある部分だったようで。
「セーブデータを複数つくれる・ポケモンに名前がつけられる」という二択のうちどちらかを選ばないといけない、
そんな状況の時、スタッフが満場一致で名前がつけられる方を選んだというエピソードも残っている。
そうして開発から6年もの時を経て、ついに最初のポケットモンスターが日の目を見ることになったのである。
そこから先は皆さんご存じの通り、大人気・大ヒットというわけだ。
ちなみに、田尻氏の企画に目をつけ任天堂に持ち帰った人物というのがこの川口孝司氏だ。
出典・・・http://bep-eou.com/?p=27
ということは、彼がその企画をスルーしていたなら、もしかしたらこの世にポケモンは生まれていなかったのかも……?
多くの歯車が奇跡的にかみ合って生まれたゲーム、ポケットモンスター。
まさにその名に恥じぬ、立派なモンスターコンテンツとなっているのだった。
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