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母子家庭に育った自分は父親という存在について詳しくを知らない。
文学や神話において、父親というものは母なる存在の愛情をめぐって争い合うものだというし、幼少期の挫折や敗北は、父親によってもたらされる事が多いらしい。
馴染み深いアニメや漫画でいうと「新世紀エヴァンゲリオン」「バキ」などでも、父と子の確執が物語の主軸として描かれている。
今回僕がプレイする「おやじ観察キット」は、製作者の説明が正しいとすれば、団塊の世代のおやじを育成し観察するという、なんとも倒錯的なアプリだ。
そのキモキャラから、なめこやアルパカを引き合いにするだけではもったいない。
異形のおっさんを育成する。魔界か?使徒なのか?そう思ってしまうほどに、妖怪おやじは100種類以上も存在する。
なぜおやじなんだ?にゃんこじゃダメなのか?
そこには何かを感じざるをえない。感じずにはいられない。
大仰に言ってみたが、画像の通りシュールなゲームだ。
ゲームの流れをおおまかに説明すると、エリック・サティの「ジムノペティ」が流れる中、おやじを育成する。観察する。やがて成長したおやじを回収する。回収したおやじによってレベル上げと新種発見、ポイントによるアイテム購入が主な楽しみ方だ。
時折、日記形式で挿入される注釈(TIPS)が楽しく、コンプリート欲求を刺激する。
うだるような猛暑の中、公私混同でおやじを育て続けた。給料日前なのでビールは控えた。壊れたエアコンは夏をより鮮やかに感じさせた。…無理やり感傷的に言うならば。
小難しく言えば、このゲームの目的は自己表現ではない。自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。物語はない。美しさもない。反復の中でささやかに何かを発見し、受け止めるしかない。
…などと、昔読んだ小説を引用してうそぶいたところで、この夏、僕の残り少ない最後の二十代がこのゲームに奪われてしまったことにはかわりはない。
やれやれ。
堅苦しい前書きはここまでだ。
日本の夏、二十代最後の夏。
おやじの夏。
PCから閲覧の場合はコチラから
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.liica.oyajikit
[次の回]
・2013年7月24日(水) 14:30公開予定
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