1978年、日本のシューティングゲームの原点の一つが生まれた。
それは、ゲームセンターを日本中に広めた伝説的ゲーム―――
「スペースインベーダー」
意外なゲームを原点として作られたインベーダーゲームは、社会現象となる程の大ヒットとなり、後の日本のゲームに大きな影響をあたえた。
今回は、タイトーが世に放った伝説のゲーム「スペースインベーダー」を特集していくぞ!
俺の恋人はゲームだぜ~っ! byゲームセンターあらし
目次
「スペースインベーダー」って?
ブーム到来!インベーダーハウス
「スペースインベーダー」は、株式会社タイトーが1978年(昭和53年)に発売したアーケードゲーム。
開発者は当時タイトーの子会社、パシフィック工業の社員だった西角友宏さん。
開発当初の日本では、「PON」を発展させたアタリ社の「ブレイクアウト」を日本向けにした「ブロック崩し」が大流行していた。
ゲームセンターでのヒットで、タイトーでもそれに続くゲームの開発を進めていた。
その一つがこの「スペースインベーダー」だった。
ゲームとしては、画面上部からじわじわと攻めてくるインベーダーを砲台から発射される砲弾で全滅させるというもの。
「ブロック崩し」とは全く違ったゲームシステムは、ゲームセンターで大流行。
その難しいゲーム性とスコアアタックの熱さで、ゲームセンターブームを引き起こした。
当時のゲームセンターは「インベーダーハウス」と呼ばれるほどインベーダーゲームを置いていた。
筐体には二種類あり、アップライト型と呼ばれる立ちプレイスタイルのものと―――
テーブル筐体と呼ばれるもの。
このテーブル筐体が喫茶店にテーブルの代わりに置かれるようになっていくこととなる。
インベーダーゲームは、喫茶店の売り上げにも貢献していくようになる。
「ブロック」→「宇宙人」
発想の原点は、「ブロック崩し」のブロックが攻めてくるというものだったそうだ。
西角さんは、ゲームの設定にかなり悩んだそうで、最初は飛行機や戦車を自機に考えていたらしい。
だが、当時の技術でスムーズに動かすのが難しいと断念。
次に人間同士の打ち合いを想定。
ゲーム内でも人間を撃ち殺すというのはどうだろう?と考え破棄。
最終的に映画「スター・ウォーズ」をヒントに、宇宙人と戦う設定に落ち着いたらしい。
H・G・ウェルズのSF小説「宇宙戦争」の挿絵を元に西角さん自身がデザインした異星人を元にインベーダーが生まれた。
タコ、カニ、イカの形状になっていてそれぞれ得点が違う。
社内上層部の反応と市場での反応の差
実は、試作を社内でプレイしてもらった時の反応はよろしくなかったらしい。
何故か―――?
難しすぎる!
そういう意見が上層部から出ていた。
確かに当時のブロック崩しは、ある程度のボールの速度が出るまでは緩く遊べるものだった。
だが、スペースインベーダーは、最初からインベーダーが攻撃してくる上、左右への移動もレバーでの一定速度での移動のみだった。
移動に関しては、ブロック崩しのパドルコントローラー(つまみを回すコトで任意の速度で自機を移動可能)がメインで扱いやすい印象。
それに対するインベーダーゲームのレバー操作は不自由に感じるものだったようだ。
だが、試験的にゲーマーにプレイしてもらったところ、反応が全く違っていた。
難しさは、ゲーム性として受け止められ、より上手くプレイしたいが為に連続でプレイしてくれる程だった。
ある程度の難易度は、技術で補ってプレイするのがプレイスタイルになる!と確信。
思い切って難易度の調整はせず、そのまま市場に出されたスペースインベーダーは大ヒット。
ゲーマー根性恐るべし!w
ブームとコピーとオマージュ
インベーダーブームは、漫画にも飛び火した。
「ゲームセンターあらし」
すがやみつるさん作の人気漫画の大ヒット。TVアニメになるほどの人気だった。
この当時は、ゲームをする人が主人公のゲーム漫画が非常に流行していた。
ゲーム内のストーリーに深い設定はなく、基本設定のみでドラマ性も無い為、漫画にする時はそのゲームをプレイするキャラクターが必要となるわけだ。
こういった漫画のヒットもあり、インベーダーゲームは様々なメディアでも取り上げられていった。
オマージュ作品として、「ギャラガ」「ギャラクシアン」など他社の作品も多いが、コピー商品も横行する。
完全なコピー基盤が販売され、その被害の規模は計り知れないものとなっていった。
これによって緩やかにインベーダーブームそのものも落ち着いていく。
現在では、ここまでの社会現象となるゲームは珍しい。
しかし、インベーダーゲームのゲーム性は、今でも様々なゲームの中で生きている。
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